誇りある、西浅草三丁目北部町会「若睦」の歴史…
「袢纏ものがたり(2009年9月1日発行)」より
浅草三社祭などに参加する「西浅草三丁目北部町会・若睦」は、会員三十五名からなる会。現会長は坂本氏、副会長は嶋村氏、堤氏が努めている。
浅草神社(三社様)の氏子である「西浅三北・若睦」(西浅草三丁目北部町会・若睦)の歴史は古く、一九五〇年、「芝三・若睦」(芝崎町三丁目・若睦)として発足した。祭礼に関して町会役員等が多く勤める睦会の中で、我が町会では「若睦」の独立を認めてもらい、神酒所も別においた。
この組織は俗に言う「青年部」や「同好会」とは異なり、町会の方々から奉納金をいただき、睦会からも援助を受けて独立採算制で推移するもの。それゆえ、神輿渡行に関する責任も任されてきた。(暴走して役員さんに頭を下げに行ってもらったこと多々あり)
氏子の中で「青年会」や「青年部」という名称を使っている町会が多い中、「若睦」と言う名称で五十五周年を迎えるのは我が町会だけだろう。
戦後一九五〇年、三社祭復興の前は袢纏がなかった為、町内会の高橋組に袢纏を借りて祭りに参加していた時代もあった。その後一九八七年に、町会で浅草一の大神輿を新調。雷門通りのおまつり広場でも注目を浴び、毎年観衆を集めるようになったのである。神社の神輿と見間違える人も多く、今では約千人のギャラリーが集まるために道路が通行止めになることも。そこで「若睦」では事故やケガを考え、ギャラリー・車両の誘導を行って最大限のケアをしている。そんな中、毎年の宮出しでは浅草寺本堂前で「町内若睦」として華に入ることが伝統である。
創立当時の先輩方から「神輿を気持ちよく担いでいただこう」というモットーを受け継いでいるのが我が「若睦」の特徴。よく雨に見舞われる三社祭では、遠方から来ていただいている担ぎ手のことを案じて「若睦」の役員が軒先や車庫を借りるのに奔走する。
近年はパソコンや携帯電話の普及で時代・考え方がめまぐるしく変わり「合理的」という言葉がはびこっている。しかし「西浅三北・若睦」は時代に取り残されてもいい。昔から受け継いできた伝統を守っていきたいと思う。(S・K)